2005年05月15日

「下妻物語」で大いに泣いてみる

ブログやmixiでコメントを残す時、必ずと言って
いいほど自分の話を盛り込んでしまう。
「ところで自分は」「自分の場合」、いつも自分。
自分て言葉の無い文章が書けない。自分本位かよ。うわー

それでいて、自己を主張するのは苦手だったりする。

人に言わせると
「変に人に気を使っていて、誤解を沢山受けてそう」
なのだそうだ。

ああ、まあ、確かに。


本当は、人の迷惑も省みず、我が道を走っていきたいのです。
単なる派手な人生ではなく、アイデンティティの主張として。


「下妻物語」はかなり泣ける作品だと思う。
実際、自分は終始咽び泣いていた。
桃子のような生き方が、憧れながらも
絶対にできそうにない、孤高の極みであるからです。

のっけから、自己中な言論で始まり
くどくて根暗、しかも差別満載の酷い言葉を吐く
性悪女は、弱いからこそ、固い決意で迷走するのだと言う。
それは、まともな人間ならば「可哀想な人」と思うだろうし
その意見は恐らく正しい。自分自身で居続けることって
無駄が多いし凄く子供じみていて、良い生き方とはいえない。

それでも、諸所に表れる桃子の思想が、どうしようもなく
自分の今の気持ちとリンクしてしまう。
迷いながら、中途半端に何かを選んで傷つくのならば
可哀想なほどに派手で孤独な人生を送ってみたい。


「大切なものを見つけたら絶対に離さない、守り抜く。
 甘えてちゃ、だめだよ。」

桃子はイチゴという親友を手に入れるが、二人には
寂しさから来る馴れ合いなどないし、繋がってもいない。
大切なものを守り、貫く、そんなシンプルな想いが同じ向きにあるから
お互いを認め合えるのでしょう。



小説を半分読んだ後でDVDも観てみると、やはり多少、方向が
違っていますが、小説でイメージできない、演出できない部分を
きちんと具体化しているので、これはセットで味わって欲しい気がします。

妙に熱く、ダサく語ってしまいましたが、良いのです。
自分てこんな奴。
これからもっと濃くなりたいと思います。


下妻物語―ヤンキーちゃんとロリータちゃん
下妻物語―ヤンキーちゃんとロリータちゃん
嶽本 野ばら
posted by にゃ at 16:25| Comment(3) | TrackBack(2) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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