2005年12月31日

「トニー滝谷」について

トニー滝谷 プレミアム・エディション
トニー滝谷 プレミアム・エディション



常に人気を集める人は、一人の時間を過ごす
のが上手い、と何かで書かれていたのを見た。
多分それは、大勢の人間と居る時間との気持ちの
切り替えが、容易にできるからだろう。

独りで居ることは、決して孤独という言葉が持つ
寂しさとイコールではない。

それなのに、常に孤独を寂しいと感じてしまう人というのは
いつも自分の感情に振り回されがちだ。




映画「トニー滝谷」は、一風変わった演出がされている。

色が薄くあまり動きのない映像に、淡々とナレーションが
流れていく。それは、ガラスケースに閉じ込められた、物のようだ。

時折、登場人物が台詞でシーンを一瞬、描写しはじめるが
何事も無かったかのように物語が進む。
孤独に理由や感情を持たせない、その距離感の作り方は
原作の雰囲気とさほど相違がない。


独り気ままに生きてきた父の息子であるトニー滝谷は
孤独を「特に寂しいとは思わない」人間に育ち
思想や感情に拘る人間を「未熟で、不正確」だと批評する。

魅力的な女性と出会い、関係する喜びと孤独に対する恐怖に
気づく主人公、という話から、何か劇的な変化を想像して
しまいそうだが、彼女を失った後も、人と比べれば
驚くほど感情の触れ幅も狭く、人と比べれば
簡単にそれを捨てて行ってしまっているような感じがする。
多くの人の目には、トニー滝谷は
「寂しいまでに孤独で、つまらない男」
に見えてしまうだろう。


しかし、孤独でつまらない人間は、寂しい人間なんだろうか。


「未熟で、不正確」なことが、人間らしさであることは
逆に、「未熟で、不正確」であるために、抱えきれない
感情を生み出す。

それを上手くコントロールできる人も居れば
当然、いつも暴走させてしまう人も居る。
人と関係していかなければいけない中で、感情は
常に受け渡されている。ぶつける事も、奪うこともできる。
だからこそ、感情がなくなってしまえば良いと
考える人間というのは、沢山居るのだ。


「トニー滝谷」は孤独な映画だと思う。
それを特に寂しいとは思わない。
posted by にゃ at 03:48| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(4) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。