2005年09月29日

岡田あーみんと私

ルナティック雑技団 (1)
ルナティック雑技団 (1)




社交性を駆使して、場の空気にあった雰囲気を演出する自分と
そんなんくだらねえなと疲れ始める本来の自分が、全く
別の存在ということはなく、どちらも自分の人格に間違いない。

それは誰にでも言えることだが、ある人が普段と違う一面を
見せた時、それを見た人は、そちらの方を”本性”と
見做してしまうのではないだろうか。

ある素晴らしいアニメーション作家がロリータ嗜好で
あったとしても、それは、どちらも一人の人間に内在する
一つの人格であるのに、ロリータ趣味であったために
その人間は”変態”と見做されてしまう。だから公言しない。

岡田あーみんが、現在作品を一切作らないのは、天才的な
才能のために、”変態”とされてしまったことへの嫌悪が
あるかららしい。



回を追うごとにギャグが冴えていく"お父さんは心配性"に
比べ、シュールな要素が減っている"こいつら100%伝説"を
経て作られた最後の連載漫画"ルナティック雑技団"は
積極的に少女マンガ的要素を盛り込んだ作品となっている。

最終回に至っては、ベタベタ感ギリギリのシリアスな
展開となっていて、見ててちょっときつい。
それでも、少女マンガらしからぬ台詞は健在。
ギャグの才能はあっても、シリアスな作家としては
凡庸だったのかもしれない。


自分自身との差を感じてドロップアウトする
アーティストは沢山いる。
他者から見える自分と、本心のバランスを
取ろうとして失敗してしまうからだ。
しかし、本当はどちらも生きる為の自分で
あることに変わりはないはずだ。




posted by にゃ at 15:42| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月15日

「下妻物語」で大いに泣いてみる

ブログやmixiでコメントを残す時、必ずと言って
いいほど自分の話を盛り込んでしまう。
「ところで自分は」「自分の場合」、いつも自分。
自分て言葉の無い文章が書けない。自分本位かよ。うわー

それでいて、自己を主張するのは苦手だったりする。

人に言わせると
「変に人に気を使っていて、誤解を沢山受けてそう」
なのだそうだ。

ああ、まあ、確かに。


本当は、人の迷惑も省みず、我が道を走っていきたいのです。
単なる派手な人生ではなく、アイデンティティの主張として。


「下妻物語」はかなり泣ける作品だと思う。
実際、自分は終始咽び泣いていた。
桃子のような生き方が、憧れながらも
絶対にできそうにない、孤高の極みであるからです。

のっけから、自己中な言論で始まり
くどくて根暗、しかも差別満載の酷い言葉を吐く
性悪女は、弱いからこそ、固い決意で迷走するのだと言う。
それは、まともな人間ならば「可哀想な人」と思うだろうし
その意見は恐らく正しい。自分自身で居続けることって
無駄が多いし凄く子供じみていて、良い生き方とはいえない。

それでも、諸所に表れる桃子の思想が、どうしようもなく
自分の今の気持ちとリンクしてしまう。
迷いながら、中途半端に何かを選んで傷つくのならば
可哀想なほどに派手で孤独な人生を送ってみたい。


「大切なものを見つけたら絶対に離さない、守り抜く。
 甘えてちゃ、だめだよ。」

桃子はイチゴという親友を手に入れるが、二人には
寂しさから来る馴れ合いなどないし、繋がってもいない。
大切なものを守り、貫く、そんなシンプルな想いが同じ向きにあるから
お互いを認め合えるのでしょう。



小説を半分読んだ後でDVDも観てみると、やはり多少、方向が
違っていますが、小説でイメージできない、演出できない部分を
きちんと具体化しているので、これはセットで味わって欲しい気がします。

妙に熱く、ダサく語ってしまいましたが、良いのです。
自分てこんな奴。
これからもっと濃くなりたいと思います。


下妻物語―ヤンキーちゃんとロリータちゃん
下妻物語―ヤンキーちゃんとロリータちゃん
嶽本 野ばら
posted by にゃ at 16:25| Comment(3) | TrackBack(2) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月04日

あなたの犬にして欲しいんですが

殴るぞ! 4 (4)
殴るぞ! 4 (4)
吉田 戦車

普段、漫画はあまり読まないが、友達の家に行けば
大抵、面白い漫画が置いてあって、この漫画も彼の家で
読んだもの。とても良かったので自分でも購入。
でもそれは、面白かったからではない。

いや、とても笑える漫画なんだけど、自分は
この漫画に理想の関係を見てしまった。

単純でどうしようもない動物好きの主人と、あきれながらも
主人に過保護に世話をする飼い犬。
主人はあまり犬を世話してないように見えるが、実は
犬をとても愛していて、他の者と仲良くしてると激しく
嫉妬して、二人きりのスケジュールを押し付けたりする。
そういうやり取りや、馬鹿みたいに喜ぶ様子をみて、
ああ、こんな人の世話をしたいなぁと思い、溜息が出た。

他の4コマを見ても、愛情のないやり取りは
全く無く、実は吉田戦車って、人格者なのかな?て
思ってしまいました。

現在、6巻まで出てる模様。
犬にしてくれる人、見つからないかなぁ・・
posted by にゃ at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月18日

「日本語」を正しく使いこなすための本

「相殺」を「そうさい」ときちんと読める人でも、
「逆手に取る」を他人が「ぎゃくてにとる」と言っていると
「さかてにとる」だよ!と訂正してしまう人が多いかも。

実は、「ぎゃくてにとる」が正解。
自分も調べるまで知らんかったよ・・・


言葉は、時代と共に変化するべきだと思う。
それでも、現存する美しい日本語を駆使して、知的で
センスの良い話し方ができる大人になりたい。
そのためには言葉のニュアンスや正しい使い方も必要と
思い、吟味してこの本を購入しました。

難しい熟語の由来や使い方、
又、よく使われる慣用句の使い方を、似た言葉と
比較しつつ紹介していて、読み物としても面白く、
目次もあるのでちょっとした辞書にも使えそうな感じです。
ただ、現代で使うとちょっと違和感がある、
古すぎる言葉も載ってるので、そこは選別して欲しかった。


この本と一緒に並んでいた、斉藤孝さんの本も
有名なだけあって少し気になりましたね。
理想の国語教科書」というもの。

その名の通り、国語の教科書風に構成されていて、
著者の挑発を感じるのがまず面白い。

国語の教科書って、授業で使わない作品も載ってませんでした?
それらの作品の方が数倍も面白いことがよくあって、
自分は特に「木を植えた男」という作品の、
一人の男の雄大な歴史に心底惚れちゃって、
授業中、繰り返し読んでいたことを、斉藤さんの
この本をちら見して思い出しました。今度買おう。

日常生活の言葉は、自分は砕けて上等と思っています。
しかし、言語と文語は、言葉の配置や流れなどが当然ながら
違っていて、文章を書くためには文語を良く知らなければ
ブログを書く際に、こうしてPCの前で数時間、
頭をひねって呻ることになってしまうのですよね。
もっと読書しなきゃいけませんね。



「日本語」の達人―あなたの「日本語」大丈夫?「日本語」を正しく使いこなすための本
「日本語」の達人―あなたの「日本語」大丈夫?「日本語」を正しく使いこなすための本

posted by にゃ at 00:06| Comment(4) | TrackBack(1) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月01日

活字を食したいのだが

心の奥から湧き上がってくる忘れかけた欲望の滾り。

の、ように、活字を欲する時があります。

10代の一時期、性欲が全く無くなった時期がなんかは、
フィヒテの「ドイツ国民に告ぐ」など読みながら

「はぁぁ・・・難しくてわかんない・・でも・・あぁん・・・」

とか身悶えたもんです。
今でも、活字って官能的だなぁと思う方で、文章の
上手い人を見つけると、それだけで好きになっちゃいます。
椎名林檎のギター信奉みたいなもんですな。

最近、ご無沙汰でしたので、一冊購入しました。
平野啓一郎の「滴り落ちる時計たちの波紋」。

この人て、芥川賞受賞作で、2〜3ページ飛ばすという
荒業な表現をした人ですな。正直それはどうなの?と思って
読まなかったんですが、この短編の1つ目、”白昼”の
ライブ感が気にいったんです。

でも、それだけ・・
この人、明治文学の文体をマスターするために、森鴎外などを
音読してたらしい。文章の所々が、無理にレトロ風。

入って→這入って
テレビ→テレヴィ

など・・・
なんていうか、勤勉さと若さで成り立ってる作家って
感じで、インテリさんの話を聞いてるみたいで疲れます。

気を取り直して、2冊目に手にしたのは「輝夜姫」。
活字じゃないじゃん(笑)


孤島で育てられた子供たちは、
各国のトップ達の生きたドナーだった!
無残に臓器を切り取られ殺された子供の細胞は、
クライアントの体を乗っ取り復讐を始める・・

と、あらすじ書くとホラーぽいんですが、
竹取物語を下敷きに、国単位の争いや人間劇が
ちょっと複雑に絡んでくる話。
でも、少女漫画にありがちな、ボーイズラブとか、
萌え系美少年多数登場など、ツボはしっかり。

正直、24巻にもなってくると、ほとんど惰性で
読んでるようなもんなんですけどね。
今回はミラーの書き方が、変。昔もっと綺麗だった。

因みに自分は高力士が好き・・・
ここが女の子読者と違うところ。


マンガは嫌いじゃないんですが、あまり自分では
買わないけど、人の家では必ず読みまくったりして。
兄経由で知った作品も多数ありますね。

スクールランブルとか・・・
ああっ女神さまっとか・・

自分が一番好きな漫画家、かわぐちかいじの
「沈黙の艦隊」も、兄が教えてくれたものだな。

因みに兄の家には多量のロリマンガが(´ヘ`;)
まぁ、それも読破したんですけどね!



滴り落ちる時計たちの波紋
滴り落ちる時計たちの波紋
平野 啓一郎
posted by にゃ at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月24日

文化からセクシャリティへ―「薔薇族」廃刊

雑誌「薔薇族」が廃刊(nikkansports.com)


木村べんのイラストや、三島由紀夫の詩、そして
薔薇という言葉。そこから受ける印象は、とても
趣味性の高い印象があったんですよね・・・とりわけ少年愛の。

ゲイ雑誌の需要て年々減ってきてますよね。。
自分も、店にあったら読むのですが、買ったことは無し。

大きな要因としてはインターネットの普及なのでしょうが、
もうちょっと突っ込んでいくと、インターネットによって
住み分けがはっきりしてきたのが一番なのでしょう。

マニアックなものがそのまま存続できるインターネットの
良い部分は、嗜好が細分化しているゲイにとっても好都合で、
それぞれのジャンルに老舗サイトが存在して、今もきちんと
運営できてる、重要なコミュニケーションの場の一つになっていますが、
雑誌は、独自性を確保しつつ進化していかなければ
すぐに休刊に追い込まれてしまう現状。自分の愛読誌も
消えてしまったり、くだらない媚び売りになったり・・
薔薇族も、BadiのようにHPとうまく連携をとる方法を
考えていたようですが、ちょっと遅すぎたのかもしれません。

それと、若い世代に限ってですが・・
自分が出会いを求める頃には、ゲイは”セクシャリティ”と
して認知されていたんですが、上の世代とお話すると、
「趣味」とか「こっちの世界」とか、アングラな”文化”としての
認知をされてる方が多いようで、そこに感じる温度差が、
薔薇族に感じるギャップと同じだったと思います。


日本でゲイ”文化”が盛り上がっていれば、また
違うのかなぁと、映画「パーティモンスター」を観て思いました。

ファッションや音楽をきっかけとした、エンターテイメントや
思想が無いまま、セクシャリティとしての正当さを主張して
しまったために、アメリカのゲイにあるような独自性は影を
潜めてしまって、それを嫌う”ゲイのゲイフォビア”なんて
のも生まれてしまったんですよねえ。

最終刊には、最後の挨拶などは無い模様。
同性愛を支えつづけた雑誌として、終わりにはしたくない、
ということでしょうか。


※薔薇族は、復刊しました。
ロゴがBadiを意識した「BZ」になってます。


パーティ★モンスター
パーティ★モンスター

posted by にゃ at 21:31| Comment(3) | TrackBack(1) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月07日

暇つぶしに読書。ケータイで。

自分の場合、性欲に関しては波があって、
 「セックスなんて虚しさを証明するだけ・・」
と鬼束ちひろな気分になるときもあると思えば、
 「今すぐ盛りてぇよハァハァ・・・」
なオス剥き出しの時期もあり、それを知り合いのSの方に
月の満ち欠けに関係が、と説明したところ、お前は女か!
と笑われました。

以前から、ケータイで書籍が読めるアプリは気になって
いて、一度ダウンロードしてみたものの、正直
100円で買っても後悔するような、魅力の無い品揃え・・
パケ代もかかることだし・・と思ってたところに見つけた
とある記事。そこで紹介されてたのがこの本なんです。

日記仕立ての文章は、正直SMがなければそこらの
ネットアイドル並にイタイくらいのもので、しかし、
飽くまでライトに書いている姿勢と、ドロドロは
していない愛に溢れた様子になんだか親近感が沸いてしまい、
するすると読めてしまう、その秘密は、SM行為が赤裸々に
書かれているのに、その視点は女性が男性に望む性態度や
感情を表現していて、SMが理解できなくても共感してしまえる
性愛小説になっている。まさにケータイで普及できる文章です。

これを読んで、Mの女性に性格的な傾向ってあるんだろうかと
思い、前述のS男性に聞いてみたところ、
 「ほとんどがメンヘル、しかもボーダー」
という答えが返ってきました。。
自分もボーダー。うーんとっても判りやすい。。

特に顕著に見られるのがボーダーの代表的な傾向、
”現実もしくは自分の想像の中で見捨てられる
 ことを避けようとするキチガイじみた努力”
という部分、いわゆる構ってチャンが多いらしく、
それを上手くコントロールできるのがS男性のすごいとこ
だなぁと思った次第です。
”見捨てられ不安”自体、誰もが持ってるものなんだけど、
ボーダーのそれは本当に強烈。一番酷かったころの自分
なんて、そりゃもう・・・手段選ばなかったすよ・・コワイコワイ

単行本では結構前に発売されてたようなんですが、ケータイ
の方ではまだ全てを公開しておらず、続き待ちです。
WINは一冊丸ごとらしいですね・・・機種変、しようかな。


寿司とマヨネーズ―ある愛の記録
寿司とマヨネーズ―ある愛の記録

posted by にゃ at 01:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年07月03日

「獣は性を愉しまないよ」―花村萬月"♂♀"

異性愛が死ぬほど羨ましい。
正確に言うと、男と女が羨ましい。
多数派故の、多様な性のあり方が認められているから。

でも、ゲイにだって、マイノリティならではの独自の文化や
感性があるんじゃない?と言われるけど、別に、ない。
"こっちの世界"というのは単にセックスを指すのであって、
そこを抜かせばほとんど普遍的な男性社会だったりする。

ところで、自分は"こっちの世界"て言葉が嫌いだ。
その言葉を振られるたびに、「いえいえ私はalienですので!
観光ビザで参りましたので!馴染めませんので!」と思う。
ゲイの中にはヘテロの男性にしか興味を示さない「ノンケ専」
というジャンルの方がいて、自分もその傾向が強いわけだけど、
そういう人等がゲイに男性を見出せないのは、自分の性別を
認めつつも、精神的には異性愛者だからじゃないだろうか。
ゲイは、前述の通り、男性社会だし。


花村萬月「♂♀」の主人公の遊び慣れた男。
この男にすごく会ってみたい。

自分でも言ってはいるけど、この男は凡庸だ。
それに気づきながらも、認めようとせずに的外れな理論と
ありきたりの理屈で武装しつつ、それに対する言い訳も
考えてしまう、中途半端な知性の男。
 それでも彼に魅力を感じるのは、女性と性的に向き合った
ときの、爆発的な感受性。この小説が面白いのも、
それが絶妙なリズムで流れているからだと思う。

セックスには、技術だけでなく感受性が必要だということ、
そう思わない奴はいくら経験があってもつまらないセックス
しかしていない。上手いと思い込んでるただの獣だ。
 「獣は性を愉しめないよ」
そう言ってやりたい。

ただ、これはやはり♂と♀の話だろうなぁ・・
♂にとって、♂はどこまでも同性でしかない。
その安心感がどうしても漂ってしまう。
読み終えたら溜息が出てしまった。。




♂♀(オスメス)
♂♀(オスメス)
花村 萬月
posted by にゃ at 12:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月13日

性のミステリー(補足)

〈性〉のミステリー―越境する心とからだ
〈性〉のミステリー―越境する心とからだ
伏見 憲明

・ゲイ(ホモセクシャル)
・ニューハーフ
・ドラァグクイーン
・性同一性障害
・オネエ
・女装(トランスベスタイト)

Q.これらの違いはなんでしょう?

と言われると、実は同性愛者だって答えられる人間は少ない。
普段、自分の性別と性嗜好を確認することの必要なんて、
普通の男女には無いし、同性愛者も、身体的違和を持ってる
わけではないので同じこと。だから、他者の性にについて、
知る機会て全く無いはず。


「同性愛を保健体育で教える日が来るか?」てことを
考えたことがあるんだけど、この本を読むと、それには
まだまだ一般に理解されなければいけない性の問題て山積み
だなぁと痛感させられてしまう。

例えば、性同一性障害について。
一般的に、性行為と深く結びつけられがちで、そのため
同性愛の延長みたいに思われてるところがあるけど、
当人にとって重要なのは
「自分が強く感じている本来の性に戻ること」であって、
性嗜好はその次。
実際、性同一性障害の方の中には、同性愛者(例えば
性転換で女性になったとしても、女性が好きな方)
も、両性愛者も、どちらも好きになれないAセクシャルの
方も居たりする。


また、女装に関しては大きく二つの違いが有り、女性として
愛されたいがために女装する人も居れば、女装によって性的
興奮を得る、ノンケの方も居る。

 自分が知り合った人の中に、
「女性が好きなんだけど、女性の体をしてるかどうかは
 関係なくて、しぐさとか雰囲気や言葉使いが女性的で
 あれば女性として抱けるし、反対に今のがさつな女の子て
 抱けないんだよねえ」
などと言ってた人が居たり。

一番考えさせられるのが、両性具有者(インターセックス)の
方。知り合いの方で一人居るんですが、自分がどちらの性であるか、
対象がどちらなのか、常に揺らぐことがあるようで。


つまり、性別、性嗜好、性自認に個人差があるということ、
それを無視して、今の教育に同性愛を載せるのは、いろいろな
誤解が生まれるはずで、それを全部盛り込もうとすると、多くの
人はこんがらがるのではないかと思う。
実際、セクシュアリティに関する議論は、未だにまとまって
居ないし、この本にも、疑問の余地を残したまま締めくくられる。

それでも、性に関する知らなかった世界、それの入門書としては、
結構分かりやすい方だし面白い。



posted by にゃ at 22:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。